「ココロの親父」の縁側で話しましょうか。HUMMING PAPAさんへのイラスト、お仕事に関するお問い合わせもご遠慮無く。
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過去の良いものは思い出、
投稿者:
eliya
投稿日:2009年 8月30日(日)22時12分14秒
返信・引用
今は、インターネット、携帯電話、などの時代で、わざわざ手紙を筆で書く事を喜ばれる相手には結構だと思いますが、便利、効率よい現代の有り方を嘆く必要も無いと思います。
生意気書いて御免なさい。
少年時代〜浜辺の歌
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月30日(日)18時42分40秒
返信・引用
編集済
少年時代
http://www.youtube.com/watch?v=esWtwcGHcs0&feature=related&fmt=18
at the shore
http://www.youtube.com/watch?v=tnzgwRyervU&fmt=18
残暑お見舞い申し上げます。
jijiさんと「手紙」のはなし
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月30日(日)10時49分41秒
返信・引用
jijiさんとは「筆」の話をしたんですよ。
まあ、その他の事はプライベートですが、
詰まり、筆で手紙を書いてたりする人は分ると思うんですが、
鉛筆の下書きとは(文字の長短や速度や字の姿のバランス等の諸事情で)自ずと違う文面になるんですよね。
その時、短くなったはずの平仮名の二三文字単位の音と姿が、
もう一つの伝達をする...と言うんですよね。
筆と紙と言う道具が、ある種の文章的工夫を要請する、
工夫をしないと行と行が字余りになって繋がらない。
気持通りの字面にする為に平仮名と漢字の量が選ばれる。
そうこうしていくと自然に一定の韻律で俳句の様に書かれてくる事が出来てくる。
出来てくると同様の文が受けとめられるようになる...
しかし、それを今の時代に求める事はもはや実情にそぐわないんだけど、
それにしても「言葉」が「指さし」の用を足せばそれでよい時代になってるのは確かです。
私なんかはそれを補おうとしてつい長くなり勝ちだし...
Re: 国語力の問題?
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月30日(日)09時27分1秒
返信・引用
>
No.547[元記事へ]
jijiさんへのお返事です。
> 国語力の問題?と云うか 日本人の大人ならもう
> それ以前の当人の必要性の問題なんでしょうね
jijiさん
思い起こせば親父達の世代ですら戦後一般人の間では
「ココロの手足目耳口」としての和文のやりとりが使えるのは一握りになってたような気がします。
今の日本人の90%は近代以前の先輩の書いた日本語の本は読めないんだし
意味も汲めない、若し時間逆行装置で先人に便りを届けられたとしても
感想を伝える事も出来ないんですから。
そんな国、他に無いですよね。
メールありがとうございました。
道中お気をつけて。
国語力の問題?
投稿者:
jiji
投稿日:2009年 8月30日(日)02時03分49秒
返信・引用
国語力の問題?と云うか 日本人の大人ならもう
それ以前の当人の必要性の問題なんでしょうね
親父さん 二三人の人としか日本語のやり取りできてませんね
私も自分の親父の世代を思い出したりすると
嘆かわしいです
難しい言葉云々の事じゃなく
全て平仮名だっていいんだけれど
一体何人の大人と俳句くらいのシンプルな日本のことばの
伝えあい 投げ合い 聴きあいがなりたつのかいな
というような事ですわ
ではまた 明日早いので
Re: Se llama Fujiyama (その名はフジヤマ) - El Tro Los Panchos
投稿者:
jiji
投稿日:2009年 8月29日(土)11時41分10秒
返信・引用
>
No.545[元記事へ]
ココロの親父さんへのお返事です。
> Se llama Fujiyama (その名はフジヤマ) - El Tro Los Panchos
最高ですねえ!聞いているうちに染み付いてしまいました
早速ダウンロードしてマイ・ツーリング・ライブラリーに追加です!
おつかれライブラリーと使い分けませんとね(笑)
Se llama Fujiyama (その名はフジヤマ) - El Tro Los Panchos
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月29日(土)00時44分0秒
返信・引用
編集済
Se llama Fujiyama (その名はフジヤマ) - El Tro Los Panchos
http://www.youtube.com/watch?v=ML_-CvrlJvY&feature=related&fmt=18
私のmixiの日記中で「アントニオ古賀さん」特集を書いていて、
その流れで「その名はフジヤマ」の原曲の
トリオ・ロス・パンチョスのものを聴いてみて驚いてしまった。
これはあの時代にこの日本と言う国が
所謂東京裁判の戦勝国側に流布された多くの宣伝に染まない一般的諸外国からは
ノーマルな日本観、憧憬、郷愁でもって受け入れられていた事が素直に出た佳曲ではないか?
ヒット当時に原曲を余り聴く機会も無く居たが
国内や取り巻き諸国の喧騒の外に出れば
こう言う普通の地球市民の声に囲まれた日本列島を乗せて
あの頃も地球は回ってたのかと言う感想。
ご存知無い方は今一度是非聴かれたいと思う。
それを抜きにしても好い曲だと思う。
Today〜今日の日はさようなら
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月28日(金)14時02分24秒
返信・引用
The New Christy Minstrels - Today
http://www.youtube.com/watch?v=1S6uU0-zvTs&feature=related&fmt=18
もうかれこれ
昔々ですねえ....
耳に残っています。
森山良子の「今日の日はさようなら」なんかも
知らず知らずここらが元になってるかも知れないですね。
http://www.youtube.com/watch?v=A_qxs_jMsUE&fmt=18
Re: 不識
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月28日(金)10時20分24秒
返信・引用
>
No.542[元記事へ]
niralaさんへのお返事です。
> こういう話は何故か涙目になってしまいます、師になるのも命がけ、弟子になるのも命がけ、好きなんです私こういうの。
肘に火を灯す様な話もありましたよねえ...
「朝に道を聴かば夕べに死すとも可なり」ですよね。
「○○を得ずんば吾決して正覚を得じ」とかもそうですが
(私は学生時代、niralaさんが上げていらっしゃる先生方の他に竜王会三浦関造先生の本も好きで良く読まして頂いたんですが)
三浦関造先生の言葉を借りますと「熱誠」ですよね。
そうしたものにはniralaさんならずとも胸を打たれます。
> 自分の中に何かへの志が有って、次へのステップで壁に突き当たっているような時、師の導きは大きな助けになるんですよ、「グルは道なり」という言葉がインドにありますが、当にその通りと思っています、私の場合は想念停止行などの瞑想行への志でしたが、芸術でも仕事でも学問でも何でも当てはまるのではないでしょうか。
その道に身を捧げても余人と神と国の為に役立ちたいと言う身を焦がす様な思い、
其れがたとい「私欲」の一つであったにしても、
若い日にそうした熱誠の一つでも無いようで「道への身投げ」も出来ないでしょうね。
しかし、
「rosenkranz」のwebサイト、すごいですね。
音の時間軸だったか、チラッとのぞき見ただけでも大層な求道家でいらっしゃいました。
調理前の真理の食材がきっとピチピチ跳ねてそうです。
生業の一道の達人方達こそは瞠目すべきものですね。
皆互いに生を受けてある程度の年を重ねたら
友人、旅人、縁ある人にとって初めて見る「一輪の花」が背中に黙って咲くようでありたいものです。
ありがとうございます。
Re: 不識
投稿者:
nirala
投稿日:2009年 8月28日(金)01時45分22秒
返信・引用
>
No.533[元記事へ]
ココロの親父さんへのお返事です。
達磨大師のこの逸話は私も知っていますが、好きな話です。
自分の評価なんて本当に知るものか!ですね、だいたいそういうことは外からの存在によって来ますから、存在によって証せられると思っています。
昨日この返信を書こうと思っていて、今日になりましたが、今日の方が良かったかなと・・・
--------------------
ボーディダルマ、達磨大師は・・南インドの王国の第三王子で、中国禅の開祖であり、『景傳燈錄』によれば釈迦から数えて28代目とされ、インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁9年を行った。
確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗と呼ばれた。彼の事績、言行を記録した語録とされるものに『二入四行論』などがある。
----------------------
ウィキペディアから引用しました。
ボーディダルマは伝法の為に弟子を求め、インドから中国まで旅をして来て、面壁9年にして確認されている弟子は二人、しかも弟子志願した慧可が腕を切り落とすまで弟子を認めなかった。
こういう話は何故か涙目になってしまいます、師になるのも命がけ、弟子になるのも命がけ、好きなんです私こういうの。
私の場合インドまで行って弟子入りしましたが、若かりし頃の良い思い出ですね〜
桐山靖雄、A先達、K師、OSHO、五井先生、クリシュナムルティー、五井野博士、本山先生、今まで師と仰いだ尊いお方達です。
ありがたいです、ただありがたい!です、真剣に求めた時に必ずその求めに合った先達友人なり師が教えを垂れ助けてもらえたように、今感じています。
自分の中に何かへの志が有って、次へのステップで壁に突き当たっているような時、師の導きは大きな助けになるんですよ、「グルは道なり」という言葉がインドにありますが、当にその通りと思っています、私の場合は想念停止行などの瞑想行への志でしたが、芸術でも仕事でも学問でも何でも当てはまるのではないでしょうか。
今はオーディオの師がほしいです、一人勝手に師と仰ぐ方はいるのですが、なかなかの求道者でほんと凄いな〜って思います。「(
http://www.rosenkranz-jp.com/japanese_index.html
)こちらの社長さんですけど」
師匠
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月27日(木)17時47分33秒
返信・引用
私には亡き父とか、兄(これは兄弟子か?)とか
母とか、亡き祖母とか
理屈抜きで永遠に届かぬ師匠ですね...
Re: (無題)
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月27日(木)17時27分0秒
返信・引用
編集済
>
No.536[元記事へ]
everlastingさんへのお返事です。
everlastingさんもまたご無沙汰でしたね。
瞑想中の事ではあるけれど、目耳と言う定点はもう無いのに見えてもおり鳴ってもいる。
その事を感ずる感光板や振動板は何なんでしょう?
日常に於いては野に咲く花から「なにやらゆかし」と聴き取るような琴線でしょうか?
若し絵描きが眼球でものを観、手で描くだけのものなら、画塾での試験のように
デッサンで良い点取る為のデッサン優秀な絵描きになるが
活きた線を描くものに於ては画かれるものを描かれるより先に観るものは目ではないし
筆を振り出す許は手ではない。
どちらも同じところ。
それを良き師匠は
今の画像、今の手法を忘れるなよとは言わない。
「今の呼吸を忘れるな」と言う。
呼吸といったり拝むと言ったりが本当に観る事を顕わす言葉でありうるのは
宇宙万物が「おがみあい」という求心力で出来ているせいでしょうか。
理解浅くてすみませんが...
Re: (無題)
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月27日(木)17時07分40秒
返信・引用
>
No.537[元記事へ]
everlastingさんへのお返事です。
> 又こうも詠う。
>
> [心とめずはうき世もあらじ、何もないこそ活如来] と
>
> 心を留めて(止めて)浮き世をあつらえ、其の内に仏で居ようとは・・・
>
> 何も無い活き如来に逢ってみたい、正師と言うべき人に
都会暮らしはなかなか活き如来に向き難いですねえ...
しかし、「逢う」と言う事については
浜松にはついぞ縁がなくとも、鹿児島まで行った事が無くとも
同期で新潟に生まれ合わさずとも
交錯する時代ではありますね。
Re: ご無沙汰してます
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月27日(木)16時56分22秒
返信・引用
>
No.535[元記事へ]
jijiさんへのお返事です。
> 長く東京に来られませんでした、ご無沙汰してます
毎年気候が秩序無いと「異常気象」の実感も薄れがちですが
いやあ、キャベツ高いですよね。
葉物、駄目ですかねえ...
お疲れ様です。
(無題)
投稿者:
everlasting
投稿日:2009年 8月27日(木)16時55分5秒
返信・引用
又こうも詠う。
[心とめずはうき世もあらじ、何もないこそ活如来] と
心を留めて(止めて)浮き世をあつらえ、其の内に仏で居ようとは・・・
何も無い活き如来に逢ってみたい、正師と言うべき人に
(無題)
投稿者:
everlasting
投稿日:2009年 8月27日(木)16時30分52秒
返信・引用
師匠は必要かと問うた人がいた。
[耳に見つ目に聞くときは、何事も、誠の法の旨にかなはむ] といった人がいた。
私はこの詩のようになりたい。
目に見、耳に聞くまでは誰でも出来る。。。しかしこの詩のようには・・・
私には師匠は必要だ。
ご無沙汰してます
投稿者:
jiji
投稿日:2009年 8月27日(木)16時22分19秒
返信・引用
長く東京に来られませんでした、ご無沙汰してます
下の音楽動画 ダウンロードして聞いてましたよ
道中黄金三星はよかったですが 心経は眠くなりそうですね
しかし鼻歌に出るようになりました(笑)
Re: 嬉しく思っています
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月26日(水)11時39分28秒
返信・引用
編集済
>
No.530[元記事へ]
niralaさんへのお返事です。
> それどころか、置き去りにされた「廃物」全てにそういう美を観ているようでしたので、ああ私と同じ感性をお持ちだな〜と思った次第です。
私の兄貴は高校時代、ベニヤ板に良く油絵を描いてました。
田舎の漁師村なもので、モチーフが磯におきざられた廃船や、
傾いた網小屋や、竹を組んだ港内の棚のコケだらけの足が水面に映ってるものや...
そうしたものばかりでした。
私にはその存在感がすごくてその絵達が好きでした。
描く漫画も斬新、独自で、私は兄貴を天才だと思ってました。
その兄貴が大人になってから、
俺はもう絵はやめる、お前にはかなわんと分ったからと。
結局兄弟で一番ボンクラな末っ子の自分がこの年まで唯一絵を描いています。
不識
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年 8月26日(水)09時55分30秒
返信・引用
編集済
昨夜たまたまNHKで信玄候か何かの特集をやっていて、
こんな事いってました。
時の皇帝が達磨大師に逢って、
「わたしはこれまで仏のために沢山の寺院と金を寄進してきた。その価値はどうなんだ?」と尋ねた。
だるま曰く「何の価値も無い」
つづけて皇帝問うて曰く
「では高名な禅僧であられるあなたの価値は?」
達磨答えて曰く「不識(しるものか)」と。
「効果は如何に」「いわく無所得」みたいなものですね。
人の評価や物差しなど「不識」でいいのじゃないですか?
片や何十年も恩義を忘れず見返りは要らぬと 助けに来るものもあり
片やその人のストーリーで裁かれる事もあり、
色々です。
結局全てはお日様と閻魔様にあずけたもので
全て終えた後天にどう記録があったかだけでしょう。
「あの人はこうだ」という人の顛末記など誰も本当には知らない。
私が若し「知ってる」と言う場合はそのストーリーが必要なんでしょう。
「あの時そのストーリーが必要だった」という自覚は生涯自分の胸に残ってるはずです。
その事は死んだ後「照心鏡」に映すまでもなく自分で分かっています。
人間お互いにそういう物をなるべく残さず
手ぶらで丸腰で堂々閻魔様の元に行かれる様生きるばかりです。
「不識」
「天がしってるだろう」
キリストも近藤勇もユダもガリレオも、五右衛門も
評価は人と時がするものという点では同意見だったと思います。
以上です。
Re: 出来たら他でもそういうココロで
投稿者:
nirala
投稿日:2009年 8月25日(火)22時14分5秒
返信・引用
>
No.531[元記事へ]
ココロの親父さんへのお返事です。
親父さんの宗教的な知識も相当なものと見ています、たぶんそういう話をやり出せば尽きないくらいの話が出来るでしょうね、エバさんなどもそうだと思います。
でももう正直言って、飽きましたね。
飽きたということも有りますが、それ以上に私の話し合いたい処に触れてもらえる人が居なかったというのもあります。
それと、五井野博士の影響もあり、芸術と美の世界を理解して初めて宗教的な精神の高みを真に分かるのだということが有るので、最初から手の内を見せる必要は無いと感じています。
まずはゴッホは何故世界的に評価されて来たのか?その美とは何なのか?ということの方が大事なことなんだとという処から出発する事が、今の私の思いです。
昔々みたいに感じますが20代のころ、禅や瞑想とは想念を静かに保ったり無くしたりするものだと考えていましたが、今は違っていて、それは境地を保つものでは無く起こるものだと理解していて、それが起こった時はただただそれを楽しむしかないと思っていますので、誰かに分かってもらおうとかの思いは殆ど消えて来ています。
だいたい真に自己の深淵に飛び込む術(すべ)を多少なりと追求している人が居ても、真に知っている先達に師事することすら出来ない人たちが多いので、無理強いは無駄なことと分かりましたし、知らない輩にああでもない、こうでもないと聞き回って何になるのかという人多いですし、何でもネットで検索すれば出来るものでも無いですしね。
本当に天才や成就者を前にすると、自己の至らなさがド〜ンっと目の前に突きつけられる思いばかりで、人様にもう何か言える身で無いと思い知らされます。
それでも自分が後にして来た世界を歩んでいる人を見れば、何か一言でも励ましの言葉や何らかの助言を言ってもみたくなるという事が、無いとは言えないですけど。
それよりも気象庁の誤報が気になります。
ありがとうございます
以上は、新着順181番目から200番目までの記事です。
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