「ココロの親父」の縁側で話しましょうか。HUMMING PAPAさんへのイラスト、お仕事に関するお問い合わせもご遠慮無く。
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(無題)
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月23日(月)19時58分25秒
返信・引用
編集済
ゆりがゆりを咲くのは
奇跡的な荘厳だというなら
それはまことに神秘と言えよう。
ゆりがゆりを咲くのを日常の営みと言うなら
それは特別扱いの似合わない自然や普遍と言えよう。
ゆりは聖者か天才か?
自分が自分を咲く事を
覚者だ聖者だスピリチュアルだというのは
いずれもあたらないのだ。
そしてその事が平素の生業として分ったものだけが道にある。
そうでないものは道を歩く事をわざわざやめたものなのだ。
聴く準備
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月23日(月)19時48分14秒
返信・引用
編集済
自分の道を究めたものが
既に聴いたり語ったりの準備の出来た人だ。
聴く語るをかならずしも必要とすら思わないと言うのが実際だろう。
それなくして
真理だけ聴き語りエキスパートたらんというやからは
それを指して私は「味の素コレクター」というのだ。
味の素だろうがハイミーだろうがやまさフレーブだろうが
どれが最高最勝などどうでも良い事。
内から自分の泉を溢れさせてその扱いを呼吸として踏まえたものでなくて
どうして水源の話が出来るのだ。
補足すれば
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月23日(月)19時31分50秒
返信・引用
それは彼らには
語るまでも無い常識だからだ。
何時か言ったけど
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月23日(月)19時30分6秒
返信・引用
いつか
それはついでにそうなってるものだと言った。
キリストも素晴らしい表現者だったと
後世の聞き書きから見てとれる。
引用として「辛子だね」の話をする人は今にもあるが、
真理を伝えるのにそう言うスケールの表現をはじめて出来る人は稀だと思う。
そうした壮大にして荘厳な表現者だったからこそ
数千年のまた聞きを経て尚色あせないものがあるのだ。
谷口さんもまた、私の私感だが古今東西を通して
あれだけの文才を類例として見た事が無い。
真理を摘み食いでなく自分で話すだけの人は
覚者や聖者と言う前に先ず表現、創造に於て天才があって
必ずそこを極めているものだ。
皆がありがたがる自称聖者などはどうだ?
音楽に於いてか?文才に於いてか?
私は
その生業に於いて凡人以下のセンス程度で
真理に於いてだけ透徹した人など見た事が無い。
相撲でも、剣の道でも、画道でも、弓道でも工芸でも
農業でも.,..あらゆる職業で
洞察力と琴線の極みに到った人が
必ず透徹しているのを、皆も見て知ってるはずだ。
(無題)
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月23日(月)11時36分6秒
返信・引用
自分が神から預かってやりに来たものはなんね?
それをやりに来たんならそれを日々やりゃ良いだけよ。
神は手足ないから代わりに私はやりに来たものがある。
瞬ちゃんもそれをせんね。
それやってりゃ良いのさ。
百の言葉の替わりに
神の御業やってみ。
手じゃなきゃ声ね?教導ね?
できんちゅうなら今まで何やって来た?
と言う事ですよ。
神は、
外に求めるもんじゃなくて
余人のために無尽蔵に自分から溢れさすものよ。
皆そのホースを一種類もっとろう?
そう言う形で
そとからでなく内から泉として与えられてるものよ。
それだけさ。
それが人さ。
(無題)
投稿者:
瞬間フレッシュ
投稿日:2009年11月23日(月)10時53分53秒
返信・引用
馴れ合いもそれなりですが
緊張した突っ込みも...凝縮してはじける何かがあっていいですね。
ギャラリーに対するスピリチュアルエンタテイメントみたいな。。
これ(スピリチュアルエンタテイメント)を否定する必要もないでしょう。
本来が見せるための掲示板でもありますし。
エバさん、ごめんね。。パパさんも直で切りこんできてね。。
求道は
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月23日(月)04時39分8秒
返信・引用
編集済
一人一人の人生で
特殊にでは無く日常に於て進歩向上の伴う営みと分かちがたくある。
進歩あるところには必ず道がある。
それはヨーヨーや独楽の技とて例外では無い。
そこに進歩が伴うところ必ず道があるのだ。
どこかに行かねば、何かを読まねばと言うようにではない。
道は一人一人の一番近くにある。
道あるところには極みがある。
極みの一点から先、タコの身体を内外ひっくり返すようなでんぐり返し、
バクハツ、ビッグバンがある。
日常の夫々の道以外のところにそれを求めるのは
例えばグルメ通である事を願うようなものではないだろうか?
普段の料理の求真の方にそれはあるべきだろう。
逆を言えば
頭脳智やウンチク如きに本当の仕事はできない。
小智小才如きに出来る事は機械もするのだ。
人間業の域を超えたものの出入りする態に人の本当の仕事の完成はある。
それを「呼吸」というのだ。
神業が往き来する態が無くて何のプロといえよう。
なす方もまた、その手応え無くして何の喜びがあろう。
農業にも林業にも
商売にも職人芸にも。
それなくして糧ばかり求むるものはゼニ儲けであって仕事では無い。
仕事とは余人に捧げる神聖なものだ。
それが浸透した時
真理はバカな宗教グルイの手から
生きとし生けるものの四季そのものに属したものとなる。
草木が実や花をなす様に
蜜蜂や鳥が空を行き交うように
人が人の資質をまっとうして生きる事なのだ。
人が、
何かによらず
歩けるから道が道であるのだ。
バカな語らいはもうやめて
おのが足でおのが道を敬虔に行き、ただ穿て。
それが人の道
生きとし生けるものの道だ。
ゆりがゆりを終に咲くように
春に桜が見事に咲き散るように
おんなが生命を産むように
神秘を日常とせよ
奇跡を日常とせよ。
(奇跡的に儲かったとかいう話では無い
なす事に奇跡を伴わない仕事を生命の仕事とは言わないと言う事だ)
それが生きとし生けるもの皆の仕事である
営みである 道である
カリスマ
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月21日(土)04時18分53秒
返信・引用
カリスマ主婦とか
カリスマモデルとか、
カリスマ美容師ね。
皆カリスマ芸ひとつ持ちたいのが今の人たちかも。
でも、そういうのに夢中な人たちが指差して笑うような「だっせえ」人が
実は
カリスマのカの字も知らない道の真人だったりする。
友人に聞きたいが
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月21日(土)04時07分47秒
返信・引用
スピへの関心を毎日示して暮らしたり、
書き込みしたりしてるのってなんだか
人生百般について
それそのものや
醍醐味より
ポイントだけ気にして生きてる様な気がしない?
言い方を替えますと
スタンプラリーしてるようなさ...
何であれ物事突き抜ける位やると
真髄の領域に穿ち要らざるを得ない訳だから
つまり
目指すところは結局TVチャンピオンの
グルメ王とかスイーツ王とかラーメン王とかサカナ君じゃないのかな?
現代においてはそういうのもジャンルごとに一つの花はあるよね、確かに。
時節らしい仕事
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月20日(金)13時42分59秒
返信・引用
この恒例の仕事で今シャカリキだけど
やっぱりこう言うのは好きだわ。
ある瞬間「降りてくる」が必ず1度はある。
道元さんも言ってたじゃない
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月19日(木)08時26分29秒
返信・引用
ああ、思い起こせば
田舎が檀家である曹洞宗の修証義だとかに、
道元さんが「仏道を習うは自己を習うなり、自己を習うは自己を忘るるなり、自己を忘るれば万法に証せざれるなり」と書いてましたよね。
ドンピシャでした。
(無題)
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月18日(水)11時58分21秒
返信・引用
>意外な事にその「自分の」の事がすっかり飛んじゃってる時に
>その人はもっとも「愛」と「幸福」と「才能」と「その人の資質」に輝いてお
>り、その人らしい。
その時活動してるのは差し詰め「スーパー・アイ」だ。
「スーパー・ミー」じゃない。
「ミーのため」は忘れてる時「アイ」になってる。
二つのシンプルなキーワード
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月18日(水)03時27分9秒
返信・引用
編集済
(1)われを忘れる
(2)自給他足 他給自足
多分長くなるから忘れないウチに要点ふたつ
書きだしときました。
Yさん、Cさん、
「自分で捧げる」事は大層な事でなきゃと思わなくて好いのです。
大仰である必要は無い。
赤ちゃんの笑顔が父母を生かしてる。
角のたばこ屋のばあちゃんの笑顔がこの町内に若し無かったら
埋まらない穴があり、
路地の豆腐屋が無いとこの町の朝は何となく明けた気がしない。
私である事の掛け替え無い「偉大さ」は何時発揮されるかと言うと
キーワードは、一つ目の「我をわすれてる」時です。
図らずも兄貴も言ってた、「真我と自我が出会う事は無い、
真我が居なくなった時に自我が顕れ、自我が退室した時裏から真我が入ってくる」と言う様な事。
これがつまり「我をわすれてる時」人は「本当の私に立脚」出来ており
「愛」そのもの「クリエイター」そのものになって居ると言う事だ。
「ええ?でも私そう言う瞬間滅多に無いよ」と仰る方も心配無用。
人は案外、「我を片時も覚えて居る」訳じゃない。
実は相当「我を連続的に自覚してる時間」は少なくまばらなのじゃないだろうか?
ただ、自覚してた事にしないと、なんか今日一日サボって生きたような気になるから、
人はその細切れな「自覚時間」を繋いで自分を納得させている気もします。
その小心者を「自我」と言う訳なんでしょう。
良く「自分を許し」「自分を活かし」とか「先ず自分を愛し」とか
「自分を褒めて上げたい」とか言うし、
「自分らしく」とか「自分にご褒美」とかも言うけれど
意外な事にその「自分の」の事がすっかり飛んじゃってる時に
その人はもっとも「愛」と「幸福」と「才能」と「その人の資質」に輝いており、その人らしい。
それがつまり
人は、あるいは総ての生命は
その本質に於いて
「自給他足」「他給自足」と言う特性に出来ていると言う事だ。
話が飛ぶが
キリストの愛にはベクトルが無かった。
「誰かを愛する」と言うベクトルある愛は
誰か以外の総てに向かないベクトルだ。
キリストと言うコップから溢れた水は地のひび割れをつたい
低きへと流れ必要な人を潤した。
ベクトルの無い(XVZ軸000)の愛はベクトルが点だ。
ベクトルが点と言う事は何処にも行く必要が無く宇宙に充ちていると言う事だ。
微笑んだ赤ちゃん同様、没頭した時の働く男の姿が好いというのは
皆「我をわすれてる」時にその胸から漏れ輝いている何かを感ずるからだ。
と言うところで、一旦一段落としましょう。
続くかどうかは未定。
と言う事で....
※本日のmixi日記より
カレーにはピクルス液
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月18日(水)03時25分18秒
返信・引用
写真無しの食べ物の日記を、
久し振りに書くのも気が引けるのですが
余り余裕が無い、勘弁です。
カレーにマンゴチャツネが合うのはもう黄金級の常識です。
アンズジャムなんかでもそうですが、あったかいものに入るとグッと酸味がます。
平たく言えば「酢」でも好いんですが、
カレーには「酸味」がすごく好い「味の足腰」になる。
私の最近のお気に入りは良く出来たピクルスの液を大さじ一二杯かけるのが好きです。
ついでに玉葱なんかのピクルスも二切ればかしのっけて食べてます。
夜食にいま、レトルトのカレーなのです。
チョコだのコーヒーだの言うのは賛成出来ないな。
スパイスも何もくるみ込んでしまってアジが鮮やかじゃなくなるから。
デミグラ系にコーヒーと言うのは分る。
カラメルの苦味が欲しいアイテムですから。
普段は忙しい時ほど日記を書く私ですが、
その余裕が無いのが、かえって仕事がまばらな時かも知れません。
特に私観たくコンテも含めて色々やってる絵描きには、
描けども描けども1/10にまで落ち込んでしまってる絵の単価の事もあって、
かえって入稿に追われての忙しさの方が気持には余裕があると言う事なんでしょうね。
夕方食事しながら珍しくつけたTV,「ハローワーク」前で、向けられたマイクに
「中々働き口なくて困りますね」なんて答えてる人が映ってた。
お前未だ分ってないのか?と思った。
俯瞰すると此の世のありとあらゆる物を含めた経済的営みの輪は、
この輪の真ん中に夫々が、自分の産み育んだものを差し出すのだ。
それが適切な物の手に、適切なものが巡って行き渡る。
そうやって幾億年と回ってるのが、地に足のついた(自然の環に連なった)「生きる意味」でもある。
なのに、何を差し出すでもなく効率良く分け前だけ転がしたりかすめ取ったりして自分の手元が安定する事を「仕事」だと勘違いしてるヤツが殆どと言う
情けない社会を構成していて、
その事に未だ気付かない。
「働き口はないか?」といって、何かさしだす道でなく
ぶら下がって頂く事ばかり考えてる....
そんな気持がふとよぎった。
日航の年金だって、「企業にお務めする」と言う事はそう言う事じゃないか?
企業が厳しかったら企業の都合でどうにでもと言うのが
人様の仕事のお手伝いをする、つかまらせてもらう、お務めすると言う道じゃないのか?
そう言うリスクをハナから承知で選んだ道じゃないか。
お務め出来た間、(自分の夢が曖昧だったのに)一つの大きな夢に参加させてもらえた事が先ずは報酬だろう。
日本の食の自給率でも分るように、
実際に分けられる何かを産み、差し出してる人は僅かだ。
仕事と言うのは勿論食えなきゃ苦しくて堪らないが、
即効代価が回ってくると否とに関わらず先ず
自分と言う資質から世界に産み差し出せる何かを差し出さなきゃ。
それが私の仕事と言うものなのであって、
報酬は賞賛や感謝が形を変えて巡ってくるものなのじゃないか?
それを先ずせにゃ。
「働き口がなくて困ったもんですね」と言ってる場合か?
と思った。
私も今決して食えてないけれど
何十年と変らず「仕事」はしている。
食えるのは納品先ばかりと言う皮肉はあるが、
これも何かのきっかけかも、と、
仕事の合間に別の努力もしてみている。
だもんで
こんな余裕の無い日記を書いてると...
※先ず互いに自分の中の本物と、社会の中の本物を正しく評価するセンスを取り戻す事が
1番根本的な経済対策だろう。
皆良きものをなす為に頑張れる社会にしよう。
皆でがんばりまっしょい。
先ず自分の仕事果たして行きまっしょい。
※昨日のmixi日記より
合議制の上の妥当もまた然り
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月15日(日)15時27分8秒
返信・引用
何百人の有識者、賢人の合議で妥当とされた事も、
出された非の打ち所の無い「結論」も、
「ほんとう」である事とは別問題なのだ。
「美」も正に「妥当」とは無縁で、
その二者は一度もすれ違う機会すらない。
優秀かどうかと....
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月15日(日)15時22分36秒
返信・引用
優秀かどうかと天来かどうかは別の事
それは、ある数字の更に半分というのを永遠に刻み続けても
ゼロとその数値は永遠に別物と言うのに似ている。
なる程優秀...であっても
別は別、全然違うものなのだ。
文章にやられてしまう...
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月15日(日)12時41分17秒
返信・引用
編集済
「モノの色や形を見る、という働きは、モノの色や形と全く同じ位置で起こる。
例えば、そのモノが夕日であったとしよう...」
http://sosekken.net/
これは、何時も身内の話で恐縮なんだが、
兄貴の最新のコラムの書きだしの所の文章だ。
この人が正しい事を言ってるだの、
新しい事を言ってるだの、
高度な事を言ってるだの、
そんな事で目を皿にしてる人とは別な目で私は魅かれる。
それがあればもう充分と思う。
彼は言外にそこを指さし済みにしてしまう。
例えばハンバーガー屋さんで「フレッシュネス・バーガー」なんてのがあるが、
あそこでは古いサイモンとガーファンクルが掛かってたりする。
アユだのエグザイルだのでは無い、その時点でもうのれんで客を選び終えてる。
そんな違いが、スピ系の中でもたった数文字で完了しているものなのだ。
そのバイブレーションが示す先を把握すれば、
もう数文字でチューニングが済んだりするのだ。
それは何も文に限った事では無いが。
接するなりチューニングを済ましてくれる力に負うと言う事だ。
その意味で、「それ」はシンプルだというのだ。
ご同輩諸氏に書いてもらおうかな
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月12日(木)07時42分24秒
返信・引用
編集済
皆夫々の味の揮毫の書ける年齢になって来た。
「侍」の一文字、書いてもらうのも良いのじゃないかと思った。
何も自前の決まり切った字である必要も無いだろうと。
「日本」「道」「誠」なんかもサイトには合いそうだ。
私等年配で、それぞれの人生の道で精神性や法則性を見出し、道にまで穿ち入った人達だ、
東風あり弘法あり鉄舟あり南洲ありのはずだから夫々の味が面白い事と思う。
皆互いにそう言う歳になってきたのだし、
そう言う楽しみもこれからは多い。
詩歌や書画というものは不思議なもので、
年齢とともに生業が法則にかなってくるとその道の「呼吸」が出来てくる。
(肉体次元を離れてる時って呼吸してない時だそうだ。
だからそう言うアクセルワークみたいな、ミシンの踏み加減みたいなものが呼吸でなされるのかも知れない。それはとりもなおさず仕事に含ませる「光量」の調整でもある。
その事を「やり方を忘れるな」では無く「呼吸を忘れるな」と教えるのだと思う)
その呼吸がそうした書画詩歌の所作と噛みあってきて
自然と回路が一致してくるものの様だ。
後は計らい少なくただ味に「出て来る」
侍文字
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月11日(水)01時42分20秒
返信・引用
編集済
やっぱりこういうのはこお....
大きな板張りの部屋で、大筆を墨にドップリ浸して
ブシャッとやらなきゃ無理ですよね。
ぺんてる筆ペンでチョコマカっとやってもスケール感が出ない。
取りあえずこれで済ませといて、
ドタバタが過ぎたら精神集中してやってみよう。
だからこそ
投稿者:
ココロの親父
投稿日:2009年11月 9日(月)01時23分34秒
返信・引用
無限を展開し得るのだ。
以上は、新着順1番目から20番目までの記事です。
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