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何十枚のイラストの納品がかち合う日がいきなり出現したりする。
そう言う日には、例えばこの(彩色前の)線画は、
野口英世博士のものであるが、連載の文章原稿を読み、資料作り、描画納品までが
一時間前後だったりと言う事もままある訳だ。
この線画は習字紙に青墨と言う比較的薄い墨で描くから、
否応なくもたもた出来なくて一筆書きになる。
一瞬ためらったらもう大きなシミのたまを作ってしまうからだ。
この絵が完璧などと言うのでは無い。
しかし、二度と無い、完璧を尽しても出せない、
一回きりの不完全と言う完全がこうして厳然と残る。
これを二度は無理なのだ。
後から観るとあんなところを出発した線がこちらで落ちている。
誰がやったんだ?と言う理屈の跳び越え方を
「誰が」ではなくしてるのを後からはじめて知ったりもする。
これは「小智小才」「人知」でも出来ないが、
「それ」にも実は出来ない。
「それ」に接して「私」が描き
「私」に接して「それ」が描く。
目まぐるしい出入りと融合と分離が流れの中で起きている。
こう言う出入り自在の仕方が「ゴゴノ」領域で自然に踏まうべきものと思う。
取り立てて精神世界と言う様な気張ったものでなくとも
それは「天分」に活きる日常のものとして万人に有り得べき茶飯事なのだ。
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